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沢登り会越国境

新高ルンゼ 御神楽岳 秋の紅葉とスラブ!

会越国境

2022年11月3日(木) 10時間05分
蝉ヶ平登山口 (5:25) – 湯沢出合 (6:25) – 御神楽沢出合 (7:45) – 新高ルンゼ出合 (08:55) – 山伏の頭 (11:55) – 湯沢の頭 (12:25) – 湯沢出合 (14:15) – 蝉ヶ平登山口 (15:30)

メンバー : 5人(Waka, Kさん, ポムチム, M氏, 葛見さわさん)全員ラバーソール
天気 : 晴れ
装備:40mロープ 2本

毎年恒例、秋の御神楽岳へ。昨年水晶尾根を歩いたとき、山伏の頭から見下ろした大きなスラブが新高ルンゼだと教えてもらった。Kさんが「途中まで御神楽沢を遡行しなければいけないから、アプローチが少し大変だよ。」と言っていたのを覚えている。なんだか難しそうだけど、いつかはこのスラブを登ってみたいと思った。
ポムチムは新高ルンゼのことを昨年の記録で綴っている。

尾根に戻ると左手から御神楽沢付近から伸びる白く美しいスラブ「新高ルンゼ」の頂部と合流する。新高ルンゼ下部には雪崩による侵食の模様のようなものが刻まれていて、実に興味深い。
みなさん来年の秋は新高ルンゼどうでしょうか??

ポムチム 御神楽岳 水晶尾根

ポムチムのお誘い通り、早速今年行くことに決まった。水晶尾根を歩いたメンバーに葛見さわさんが加わり5人で新高ルンゼへ。

御神楽沢~新高ルンゼ

朝4:00に蝉ヶ平登山口へ集まり、支度を整える。5:25登山開始。暗闇の登山道をヘッドライトの明かりを頼りに進んでゆく。蝉ヶ平登山口から湯沢出合までは「栄太郎新道」という登山道を辿るが、この道がなかなか悪く緊張させられる。沢靴でも怖いのに、登山靴だと尚更怖いだろうな。と思う。私がこの登山道で最も苦手な「天空トラバース」にFIXロープは一切ついていない。越後の岳人にロープは不要という事でしょう。

6:25湯沢出合到着。ここから水晶尾根の取り付きである本名穴沢出合までは昨年歩いたので記憶に新しい。昨年よりも水量が少ないような気もする。程なくして現れるゴルジュは左岸巻き。

御神楽沢はKさんとM氏が遡行済なので2人の記憶を頼りにしつつ進んでゆく。過去の記録によると淵やシャワーがあるらしいが…。Kさんは確かにその通りで寒い部分もあるかもと言うが数ヶ月前に遡行したばかりのM氏はすでに記憶が飛んでいるようで、淵?シャワー?あったっけかな〜?という具合で全く参考にならない。

右手にラクダの窓沢を眺める。いつ眺めても圧巻の支流である。岩壁に張り付く紅葉は色濃く輝いており、美しい。

ラクダの窓を見上げる

7:45御神楽沢出合到着。出合は伏流しており、本当にこの沢!?と疑いたくなる様相である。進んでゆくと次第に水量が増えてきたのでほっとした。笑

そして目前についに淵が現れた。幸いにも太ももぐらいの深さで問題なし。みんなゾロゾロと進んでゆく。距離は6〜7mくらいだろうか。

ぞろぞろ〜

しばらく進んでゆくと、目前に御神楽大滝。山仲間のNくんが左壁をフリーソロで登ったらしいが、実物を眺めて「よく登ったな…。」と思った。私たちは滝を直登する気はないので、左岸より巻き。

御神楽大滝

1m程灌木の途切れた部分のトラバースが緊張したが無事に突破。懸垂下降で沢床を目指す。下降ポイントと思われる灌木には残置の捨て縄が大量に巻かれていた。いずれも灌木の先端部分に巻かれているが、これで懸垂したら危ないので、きっとどこかのタイミングでズレてしまったのだろう。最初はまぁ大丈夫じゃない?みたいなノリでその捨て縄達を使って下降しようとしたがトップのM氏が1m程下降したところ、やはり支点がすっぽ抜けそうで気が気でないので、登り返して仕切り直し。ポムチムが灌木の根本に持参した「高級捨て縄」を巻いてくれてそれを使って改める。残置捨て縄はナイフで切り全て回収。せめて捨て縄1本残したら、代わりに残置を1つでも回収すればゴミが増えなくて済むと思うのだが。大量に残してあったということは回収を考える人は少数派なのだろうか…。

大滝を巻いて沢床に着地すると、すぐ上流に2mの滝が見えた。私の次に降りてきたKさんが、「確かあの滝は少し悪かったような…。」と言っている。先に懸垂下降したM氏とポムチムが暇そうだったので、Kさんが「あの滝突破してFIX垂らしといて〜!」と声をかけたところ、分かった!と快活な返事が返ってきた。目を離して再び滝を見たところ、ものの1分もたたないうちにM氏が滝上へあがっており、ポムチムも上へ。2人ともはやっ!笑

一瞬で滝を登るポムとM氏。笑

続く3人もポムチムのセットしてくれたスリングを引っ張って無事に突破してゆく。2人の準備のお陰でスムーズだった!ありがとう。

その後もいくつか滝が現れるが快適に突破してゆく。シャワークライミングと思われる滝は2ヶ所あったが、濡れるか濡れないかは個人差があるだろう。私は髪の毛まで濡れてしまったが、KさんやM氏はほとんど濡れていなかった。笑

この滝は私が直登したら釜が深くてずぶ濡れになった。それを見た後続は全員右岸をへつって逃げた。笑
シャワークライミング!※個人差あります

ふと見上げると岩壁に張り付いた紅葉が真っ赤に染まっている。ここまで彩度の高い紅葉は久々だ。まるで写真で加工したかのような鮮やかな色合いを帯びている。

素晴らしい紅葉と岩壁に包まれて
彩度の高い紅葉…!

8:55、新高ルンゼ出合到着。しばらくの休憩を挟み、いよいよ出発。水量は非常に少なくなったが出合からしばらく滝が現れる。涸滝を右岸の草付きから高巻くといよいよ新高ルンゼに突入してゆく!

滝を右岸から巻き気味に登っていくと、いよいよスラブ帯に突入する

素晴らしい!素晴らしい!みんなが歓声をあげて各々好きな場所を登ってゆく。

見事なスラブです
後ろの笠倉山が美しい!
スラブはまだまだ続きます!

ただただ美しく、一歩一歩を踏みしめながら登ってゆく。標高差にして約350mのスラブ帯。ここまで大きなスラブもそうそう無いだろう。

M氏&Waka

M氏は「水晶をさがす!」と言って一人だけあちこちとスラブの端っこの方を歩き回っている。笑

思わず笑顔が溢れます

高度を上げてゆくと、左側に御神楽沢奥壁が姿を表す。いつ見ても圧倒される景観だ。そのうちにスラブは終わりを迎え、水晶尾根に乗り上げる。終点である山伏の頭へと至った。昨年水晶尾根を登って気になったスラブを、今年は登ることができたなんて、とても感慨深い。

御神楽沢奥壁を望む
水晶尾根から会越の山々を眺める

水晶尾根を辿り、12:25湯沢の頭到着。いつ来ても、何度来ても、やっぱり素晴らしい場所だ。やっぱり御神楽岳は良い。
登山道に合流したからといってまだまだ気は抜けない。これから下るのは栄太郎新道である。

素晴らしい山景色
御神楽岳周辺は荒々しい山肌が格好良い

実は昨年3回ルートを外したが、今回はその反省を活かしてスムーズに歩くことができた。登山道なのか、ただの枝沢なのか、どちらも同じような見た目で本当に分かりづらいのだ。笑
右側にはこれまた雄大な湯沢スラブと山伏尾根が見えている。栄太郎新道はかなり難易度の高い登山道ではあるが、この何にも変え難い景観を眺めながら歩けるのは至極贅沢だ。

湯沢スラブと山伏尾根を望む。(山伏ドームが目立っている)
湯沢スラブ。向かって左から本谷スラブ、中央スラブ、ダイレクトスラブ、三角スラブ(写真半分上にU字の門が4つありわかりやすい)

湯沢出合まで降り立ち、蝉ヶ平の駐車場を目指す。まだまだ気は抜けない。

恐怖の空中トラバース再び
ブナの森を抜けて蝉ヶ平を目指す

15:30蝉ヶ平登山口無事帰着。

立ち寄り

中国料理 桃園楼(11:00〜14:00/17:00〜20:30)
〒959-4402 新潟県東蒲原郡阿賀町津川3469

もちろんここ!

新高ルンゼの初登行

『越後山岳』第二号 1948年(昭和23年)9月発行 に最初の記録が載っている。
栄太郎新道が無い時代に歩かれている。

1946年 (昭和21年) 8月下旬 新潟高校山岳部が偵察し、右第三ルンゼを新高ルンゼと命名

1947年 (昭和22年) 4月26日~29日 新高ルンゼを登行 宗田 淳、皆川 勇 (新潟高校OB、新潟医大山岳部員)

おそらく、校山岳部が命名したから新高ルンゼなのだろう。
御神楽岳の概念図も同じく『越後山岳』第二号がおそらく最初で、新高ルンゼも記載された。

『越後山岳』第二号(p.99) 日本山岳会越後支部、秀峰山岳会 佐藤一栄 作図

室谷側の登山道は1997年(平成9年)に廃道を再整備したものだ。
この道はもともと1897年(明治30年)に御神楽神社を奉祀した際の登拝路で、廃道化していた。
そのため『登山大系』などには室谷ルートは載っていなく、栄太郎新道のみが記載されている。
この登拝路を踏襲したものが昔の地形図に載っている。

登拝路、現在の室谷ルートとほぼ同じ。『御神楽岳』五万分一地形図 1911年(明治44年)測図/1931年(昭和6年)要部修正 

室谷側の登山道が廃道になり、栄太郎新道ができるまでの間は御神楽岳は登山道が無かった。
登行路として「広谷川コース」と「ソウノマタ沢コース」があり、「広谷川コース」はなんと御神楽沢から新高ルンゼを少し登り、また御神楽沢に降りてから登り返すというものだった。すごいルートだ!

赤が栄太郎新道、水色が広谷川コース
室谷ルートは「廃道化シテイル」とある。

「おらがぶった道」栄太郎新道

栄太郎新道は1959年(昭和34年)に新潟県山岳連盟の後援のもとに、地元山岳会のベレー・モンターニュの方々が中心になって切り拓いた。このとき多大な業績を残した、蝉ヶ平区の熊倉栄太郎の名を取り新潟県山岳連盟が「栄太郎新道」と命名した。栄太郎さんは東面登山路のことを「おらがぶった道」と言っていたそうだ。

1959年(昭和34年)

6月17日 御神楽岳東面登山路 開拓着手

7月11日 登山路開拓完了

7月12日 「栄太郎新道」と命名される

栄太郎新道は湯沢出合~御神楽岳を経て、本名御神楽岳~広谷川右岸~笠倉沢出合へと通じる「周遊道」であった。今から60年以上前にわずか1ヶ月で拓いたというのは驚異的だ。
ルートについては藤島玄の『越後の山旅 下越地方編』(1960年の三部作)が詳しい。
同じ藤島玄の『越後の山旅 上巻』(1976年の二部作)では広谷川右岸の道(笠倉山側)はこの時点で廃道になっていた。現在も広谷川右岸の道は廃道のままで、栄太郎新道の本来の姿はない。
笠倉山のピークには行かないけれど、広谷川をぐるりと回る登山道!歩いてみたい。

栄太郎新道は周遊道だった!
笠倉沢出合へ通じる道
『BERRET MONTAGNE』 VOL.5 1960年(昭和35年)5月25日 ベレー・モンターニュ発行

熊倉栄太郎さんの写真↓

後列中央が熊倉栄太郎さん、後列右が小澤観一さん 1960年5月
小澤観一著『御神楽岳 登山史・文献抄』(2018年)より

1897年 室谷ルート 登拝路として出来る

1959年 室谷ルート 既に廃道化

栄太郎新道 周遊道が完成

1976年 栄太郎新道 広谷川右岸は既に廃道化

1997年 室谷ルート 再整備されて完成

参考文献

佐藤れい子『越後百山 新潟の山をめぐる登山紀行』(2001),「御神楽岳」,p.141-142 新潟日報事業社.

寺田徳明『東蒲原郡史蹟誌』(1975), 名著出版.

日本山岳会越後支部『越後山岳』第二号 (1948).

藤島玄『越後の山旅 下越地方編』(1960), 「御神楽岳」, p.116-122, 富士波出版社.

藤島玄『越後の山旅 上巻』(1976), 「御神楽岳」, p.309-315, 富士波出版社.

小澤観一 『御神楽岳 登山史・文献抄』(2018).

『越後の山 <アルパイン・ガイド 8>』(1960), 山と渓谷社.

『日本登山大系[普及版] 2 南会津・越後の山』(2015), 白水社.

『岳人』の御神楽岳はNo.628(1999年10月号)の特集が詳しい。
わらじの仲間の大津政雄さんが大ボリュームで書いている。

No内容
196応募紀行 私の御神楽岳 / 田村清 / p156~157
342連載グラフ 未踏の岩壁(24)<御神楽岳> / 堀仁 岡部一彦/ p165~167
486マウンテニアリング・セミナー 山の雑学ノート 山の横顔(5) / p142~143
510エキセントリックな越後の薮山へ / 大津政雄 / p50~53
511御神楽岳湯沢本谷~奥壁スラブ 大津政雄 / 記録速報 / p185~187
542御神楽岳 山伏尾根 (1991/12/28-31) 大津政雄 / 記録速報 / p154~158
544秋色特集 彩り鮮やか越後と南会津の山 ガイド ちょっと気になる山/p46~47
568フォトエッセー 会越の谷川岳と呼ばれる御神楽岳へ / 阿部信一 / p32~33
598御神楽岳 マウンテニアリング・セミナー ミニガイド / p178~182
604御神楽岳霧来沢大鍋又沢と前岳南壁 / 成田安弘 大竹幹衛 / p52~55
615特集 ぼくの単独行 只見の小屋をベースに黄金色の森を追った御神楽岳 / 鈴木澄雄 / p36~37
628会越国境の異端の山 御神楽岳 スラブ・谷・雪稜ガイド / 大津政雄 / p43~48
『岳人』御神楽岳関連の号

御神楽岳の記録

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