前日
2月のある日、朝9時。目覚めるとなんとなく生理痛のような痛みがある。出産が近い前駆陣痛というものだろうか。その後、「おしるし」を確認した。
私が起きた時点で、すでに近所のスキー場へ滑りに行っていた夫に連絡を取ると「陣痛じゃない?すぐ帰るよ。病院行く?」と急にソワソワしはじめた。
私の体調は、少しお腹痛い以外はすこぶる良好で、まだ出産する感覚もなかったので「まだ初期の初期っぽいから大丈夫だよ。」と返した。
ちょうど先月出産した友達から連絡が来て、同じことを伝えたところ、なんと友達はおしるしからすぐに陣痛になって、その3時間後には病院へ行ったらしい。私の、のんびりな気持ちとは反対で「早く旦那さんに帰ってきてもらったほうが良いよ!」と言われてしまった。
いよいよ出産が近いづいているのを実感し、緊張する。夫は友達の言葉が決め手になり即座に家に戻ってきた。
早めにお風呂に入って、いざという時に備える。あまり活動せずにのんびり過ごす。
その後も1時間おきに「病院行く?」と訊ねてくる夫。
「まだ全然大丈夫だよ。」
「ワカの判断は怪しいから、もう一度友達に連絡とって!」
私の「母親の勘」が当てにならない夫はひたすらソワソワしていた。
21時頃、軽い腹痛は今もなお続く。コタツでのんびりしていたが母にも連絡をとってみた。
「陣痛が始まっているね。ちゃんと時計をみながら間隔を測るんだよ。」
「まだ我慢できる生理痛くらいだけど、これから痛くなるよね?」
「痛みと痛みの間の時間だよ。まだまだこんなもんじゃないと思っていて意外と進みが早いとかあるからね。」
母の言う通り、真面目にカウントしてみたところ、なんと痛みは10分間隔で来ていた。もう既に陣痛は始まっていたのか。
病院に連絡すると、慌てなくて良いので、支度を済ませて病院へ来てくださいと言われた。

てっきり、病院へ行くタイミングというのは相当お腹が痛いものだと思っていたので、全く油断していた。陣痛の波の間隔は確かに10分おきだが、未だに軽い生理痛レベルの痛みだ。お腹が痛い時間は毎回2分かからないくらいで短いので本当にこれが陣痛?って感じだ。
母親に言われていなかったら朝まで家で過ごす気満々だった…。
22時半、夫に車を出してもらい病院へ向かう。ずっと降っていた雪はこのときだけ止んでいて、星空も見えていた。
横向きで寝ているときは陣痛の痛みが紛れていたが、着座していると、しっかりお腹の痛みを感じる。我慢は出来るが、けっこう強めの生理痛レベルの痛みで、ルナルナ飲みたい感じ。
病院に到着すると、そのまま分娩室に案内された。今夜は患者が少ないらしく、出産までこの部屋で過ごしていいそうだ。
子宮口は4cm開いていており、その後、分娩監視装置をお腹に装着され30分様子見。
23時40分、入院が確定した。そして夜通し出産ルートも確定。
いつの間にかお腹の痛みが結構強くなっていて、ついうめいてしまうレベルになっていた。
痛みとのたたかい
助産師さんに、点滴のためにぶっとい注射針を打たれる。
打たれた後に「痺れとかありますか?」と聞かれて、こんなぶっとい注射針が気にならない訳がなく、なんとなく痺れる気がして「ちょっと痺れます。」と伝えたら、助産師さんが打ち直してくれた。多分痺れは無くなった気がするが、この注射針をこれから数時間も固定されることを考えると少し憂鬱だった。ちなみに、注射シーンを見た夫が貧血になった。(苦笑)
「何かあったら呼んでください。」と言われ、分娩室には夫と残された。
楽な姿勢で過ごしてくださいと言われたので、ひたすら横向きで寝ていた。疲れてくるので右を向いたり左を向いたりとたまに寝返りをする。
いつのまにか日付をまたいでいた。陣痛が結構痛くなってきて、痛みを耐えるのに必死になってくる。
痛みの時間は家にいた時より短くなり1分前後くらい。しかしこの時間は決して短くなく、永遠の時のように感じられた。
これ以上痛くなれば何も飲み食いできなさそうだったので、夫に院内の自販機まで食料を買いに行ってもらった。
サンドイッチ、おにぎり、麦茶をお願いしたが、すでにこの時点で痛みと疲労のため、せっかく買ってもらったサンドイッチは口に出来ず。
家から持参した、リンゴジュースやブドウジュースやゼリーもちまちま補給しながら、長いたたかいに備える。
そのうち起き上がってペットボトルを飲めなくなったので、ストロー付きキャップを装着。(以降、これが活躍。)
0時30分頃。間隔は短くなってゆき、6分30秒〜5分おきぐらいに陣痛が来る。だいぶ痛くて、予想以上に声が出てしまう。もう、結構耐えられないレベル。たまに8分くらい間隔が開くときがあって、そうすると次の陣痛が尋常じゃなく痛む。間隔が空きすぎると良くないのだろう。
陣痛カウンターを記録していたが、痛過ぎて、スマホ操作もおざなりになってくる。
このときは朝の3時くらいには産まれるかな~なんて話していた。

2時頃、間隔が3〜5分おきになった。精神力は尽き果て、痛みでもはや死にそう。
たまにナースコールを押すと、助産師さんが子宮口の開き具合や体調を確認しにきてくれる。記憶が朧げだが、まだこの辺りで6cmとかだった気がする。全開の10cmまで遠い。
「うーん、まだですね。」と言って、退室してしまう助産師さん。夜勤で大変だろうが、正直ずっとここにいてほしい気持ちでいっぱいだった。
夫がさすったり、テニスボールを当てたりしてくれるが、あまり癒されなかったので声を絞り出して「触らなくていいよ…。」と言ってしまった。
夜中で流石に眠くなり、スヤァと入眠しそうになると、陣痛がきて「ぎゃー!」と起こされるの繰り返しだった。夫も一緒に寝そうになっていたが、私が叫ぶたびに一緒に起きて励ましてくれた。身体もメンタルも限界すぎる…。
私にナースコールを押されてまた見にきた助産師さんに「この調子だと、出産するまで体力持つか心配です。」と言ったら「みんなそう言うから大丈夫。」とか言われた気がする。
カーテンの外を見に行った夫に「夜が明けたよ。」と言われたが、もはやこちらはそれどころではない。ちょっと視線をやると、確かに窓の外が明るくなっていた。

朝6時、入院してから7時間近く経っている。どこかの山を登って下りて来られるほどの時間だ。
その間、数分おきに人生最大の痛みが襲ってくるなんて、出産恐るべし。過去に何度か怪我をしてきたが、どの痛みよりも痛い。今まで一番痛かった記憶は、骨折して青く腫れた手首を、骨を元の位置に戻すために思い切り捻られた時。それよりは痛い。そして登山とは比較にならないほど辛い。
現在の陣痛間隔は2〜3分おき。子宮口は多分8cmくらい開いたのかな。
痛みレベル最高潮。叫ぶつもりなかったのだが、声を出さずにはいられない。呼吸を意識するように言われていて、かなり頑張って呼吸を整えた。
夫が「ワカ、呼吸が上手だね!クライミング相当強くなれるよ。」と謎の褒め言葉をかけてくれる。クライミングで呼吸意識するより、こっちの方が100倍難しいですわ。
夫がこまめに「水飲む?ゼリー飲む?」と言ってくれるが、もはや飲む体力がない。
子宮口9cmまで開くと、発狂レベル。これ叫ばないで産む人どれだけ精神強いんだ。最初は下腹部のあたりに感じていた痛みは、腰の辺りまで下がってきて、内側から無理矢理骨を押し広げられている感じ。助産師さんが「お手洗い最後いつ行かれました?」と尋ねてきて、息も絶え絶えに「数時間前です…。」と答える。産む前にトイレに行ってほしい感じだったが、もはや身体を起こせない。助産師さんが「じゃあちょっと万全の準備を整えるために、管で取らせてもらいますね。」と言ってきた。管!!
陣痛の痛みと、管を膀胱に入れられた痛みと、ごちゃ混ぜになり、またギャーギャー騒いでしまう。助産師さんは若くて、きっと私より年下だろう。それでも冷静に、発狂する患者を相手に繊細な仕事をこなしていて、本当に尊敬した。
それにしても管すごかった。全く尿意が無いにも関わらず、勝手に尿が取られていった…。
「いきみたい感じはありますか?」何度か言われるが全然分からない。
「いきもうと思えばいきめます…。」
「子宮口、ほぼほぼ開いてますね。」
そのうちに助産師さんが何人か入ってきて、準備のために動き出した。もう早く産んでこの苦しみから解放されたい!
「いきみたい感じはありますか?」
いきめるっちゃいきめるが、それは便意。
「なんか違うのが出そうなんですけど、いいんですか?!」
「出産とはそういうものなので大丈夫ですよ!」
本当の本当に?!絶対に便意なんですけど。本当に良いのか何度も確認するが、この便意のせいで、思い切りいきめなくて、出産が長引いている感覚はあった。
意を決していきんだら、私の感覚は当たっていた。そして、また私より若いであろう助産師さんが冷静に、一瞬で処理をしてくれたのであった…。私は恥ずかしさと引き換えに、ようやく本腰入れていきめると思った。
8時22分、ついに子宮全開し、私も超いきみたい感覚に襲われた。これはこれで確かに便意と近い感覚だ。でも、いまだに骨が軋むような痛みがある。もう便意なのか痛みなのかよく分からん状態だ。
取り上げ担当の助産師さんが、私の足元で「いよいよ産まれますからね。」と声をかけてくれる。
いきみかたを教えてくれた。
・いきんで!と言ったら助産師さんの目を見て思い切りいきむ
・旦那さんは奥さんの背中(肩甲骨のあたり)を持ち上げて、おへそに力が入るように丸めてあげること。
・声を出すと力が逃げるから声を出さない
呼吸も、吸って吐いて止めてを助産師さんの声かけに従って行う。
いきみたいレベルが1、2、3と3段階あって、レベル1で既に猛烈で耐えかねる便意に近い感覚だが、助産師さんは「まだいきまないで我慢して!」と悪魔な事を言う。呼吸を続けつつ、死ぬ気でレベル2まで耐え凌ぎ、もう無理限界!なレベル3で思い切りいきむ。今までの陣痛が痛み我慢大会だったのなら、こちらは我慢+タイミングを合わせるゲームみたいでもある。
が、いざ、いきんだらいきんだらで、なかなか思いきれずに力が弱くなってしまった。
以前、母親学級で出産のビデオを見せられたときに、妊婦さんのお股が裂けて大出血しているのを見てだいぶ怖くなってしまったのが原因だ。絶対股が裂けるし、映像がかなり痛ましくて、いや無理無理〜としか思えないのだ。
そもそも直径10cmという巨大なものを股から出すなんて物理的に不可能だ。
でも、思い切らなきゃいつまで経っても赤ちゃんは出てこないと思ったので早々に覚悟を決める。
自分の股下で何か白いものが飛び散ったように見えた。
「破水しました!」
助産師さんが言った。(正直この辺りは必死で時系列をよく覚えていない。)
「少し頭が出てきましたよ〜。」
助産師さんの声がする。股がズキズキ痛い。まだ最大径10cmは突破していないとは思う。次のターン、10cmの部分でちょうど留まったら逆に痛そうだったので、心を無にして、お腹の底から思いっきりいきむことにした。
ちょうど11月に産まれたモカの出産を思い出す。母ヤギのクロも頑張っていたから、私も頑張らなければ。窮屈な産道を通っている赤ちゃんもきっと頑張っているだろう。
で、思いっきりいきむ。多分ものすごい顔をしていたと思う。
8時53分トゥルンと、何か巨大な温かいものを自分の股下に感じ、その直後に助産師さんが産まれたての赤ちゃんを持ち上げているのが見えた。元気良い産声が聞こえた。
辛い出産だったが、この瞬間の温もりだけは心地よく印象深かった。
ついに終わった…。
一瞬嬉しかったが、とにかく疲労が強くて、虚無。新生児ベッドに寝かせられた赤ちゃんをボーッと眺める。隣の夫はとても喜んでいる様子だった。
残った胎盤もすぐに取り除かれた。陣痛の痛みから解放され、1年近くお腹の中にいたものが、外に出てくれて、寂しさとスッキリした気持ちが入り混じっていた。
産婦人科医の先生が来て、お腹をぐりぐり押してきた。多分、止血の為だと思うけど、地味に痛くてまた「うぅ」と唸ってしまう。でも陣痛の痛みに比べたら100倍マシだ。
その後、裂けた股を縫合してくれる。2箇所裂けていたようで麻酔を打って縫ってくれた。麻酔注射は以前親知らずを抜いた時のチクッとした痛みと同等ぐらいだろうか。股の事を意識すると具合が悪くなりそうだったので、ひたすら虚無の精神で乗り越えた。
落ち着いた頃合いに、赤ちゃんが私の胸元にやってきて、初乳を吸わせる。私自身の身体の変化にも驚きだ。マジで出とるわ…。
助産師さんが、「出産で赤ちゃんが疲れると、直後は元気が無くて飲めないこともあるんですよ。飲んでいるということは、お産が順調だったということですよ。」と言ってくれた。
早々に覚悟を決めていきんだ甲斐があったというものだ。
その後、夫は帰宅し、私は数時間をそのまま分娩室で過ごした。
助産師さんが朝食を持ってきてくれたが、疲れすぎて喉を通らない。妊産婦は白米200gらしい。普段はペロリだが、今の気分だと多い200g…。でも、無理やり完食。
私は元々貧血傾向があったが、妊娠してからは積極的に鉄分を摂っていた。お産は大出血不可避だったし、陣痛がキツすぎて失神しかねないレベルだったので、鉄分を摂っていて心からよかったと思う。

入院生活
初日の夜はぐっすり眠るために一晩、子を新生児室で預かってもらい、翌日から共に病室で過ごすことにした。
助産師さんや看護師さんが、代わる代わる私や子の様子を見にきてくれる。出産前は不安だった育児も、ありがたいご指導のお陰でだいぶ自信がついてきた。
最初の頃は、オムツに印字されている線がおしっこをすると黄色から青色に変わることさえも知らなかった。そういう初歩的なことから、おむつの変え方、抱っこの仕方、授乳、ゲップのさせ方、沐浴のやり方などなど。教えて貰えば、新生児の頃はおむつを変えて授乳するのが殆どだということが分かってきた。
出産の疲れも抜けきらない頃に、3時間おきの授乳は寝不足になるが、我が子の顔を見ると疲れも忘れてしまう。ここの病院では母子同室だが、決して無理する必要はなく頼めば新生児を預かってもらえる。でも、離れてしまうと思うとなんだか気になってしまい、出産日を除いては疲労は溜まるものの、ずっと一緒に過ごした。
1週間の入院生活を経て、退院。助産師さん、看護師さんには本当にお世話になり、あらためて、これらの職業へ対するリスペクトを感じた。
ちなみに病院食はヘルシーな感じで、脂っこいものや生物は一切出てこなかった。お椀がダサいけど、料理は美味しい。なんなら3食用意してもらえてとてもありがたい。出産前は豪華な食事が食べたいと思っていたけど、今はそんな気持ちはなくこれで十分だ。(よくよく考えると”豪華”の定義ってなんだろう?天ぷらやお寿司とか???ってなっている。)
1ヶ月入院して、毎日ここで暮らしたいくらいだ…。
退院後
出産前は里帰りするかも悩んだが、今の住まいから遠方にある実家に帰るのは、子の車移動が負担になるので諦めた。
夫と2人体制の日々だが、今の所は、意外とどうにかなっている。(このブログを書けているくらいには。)
入院中の助産師さんや看護師さんのご指導のおかげで自信がついたし、最近は分からないことがあればネットで調べればすぐに答えが分かる。両親とも気軽に連絡が取れる時代だ。
夫が夜間授乳を代わってくれると、かなり助かるし、食洗機や洗濯乾燥機の偉大さを知った。
ちなみに家の掃除(トイレ掃除や使ってない部屋の掃除機がけとか)はあまりやってないし、乾いた洗濯物も子のものは畳むが、私や夫のものは畳まずに放ったらかしだ。笑
でも夫も私もそれが許せる価値観なので問題なし。家事に対して完璧主義になると逆に自分の首を苦しめることになりそうなので、結構いい加減にこなすように意識している。
そして、私のメンタルは夫の発言に大きく左右されると知った。退院して1週間後に「泊まりで山行っていい?」と言われた時は、本気で子を連れて実家に帰ろうかと思った。
所詮、こういう時の私には感情的な言葉しか出せないので、夫の友達である”ChatGPT”に論理的に説得してもらい、ことなきを得た。当然ChatGPTは私の味方だった。ちなみに私はせいぜい1泊だと思っていたが3泊4日で行くつもりだったらしい。
産後鬱の危機を無事に乗り越えたが、我が家はなんだかんだ夫の協力が心強く、余裕を持って生活できているとは思う。
これから子が成長していって、授乳の量も増えてきて、ますます時間が取られ大変になってくるとは思う。
夫が「夜間授乳は大変だから、これから1日ずつ交代でやろう。」と頼りになることを言ってくれたので、今後の活躍に大いに期待したいところだ。
終わりに
妊娠・出産という初めての経験をした。全部ひっくるめて、すごい経験をできたと思っている。
我が子は、妊娠中は私のお腹の中で育ち、生まれてからは私の母乳で生きている。冷静に考えると、完全に母親の体だけで生命を維持しているわけで、哺乳類の仕組みって改めてすごいなと思った。
そして、子供の誕生。ゼロからイチを生み出す行為だ。どれだけ技術が発展しても、人工的に人間を作ることはまだできないのに、母親の体は人体を作り出す。まさに神秘だ。
陣痛の痛みだけはどうにかならなかったのか。人類が進化する過程でもうちょっと痛みを抑える方向になって欲しかった。これは設計ミスだと思う。
正直、私はもともと子供が大好きというタイプではない。赤ちゃんを見ても「かわいい」とは思うが、ゾッコンになるほどではなかった。でも、生まれてきた我が子は世界で一番かわいい。産んでよかったと心から思うし、生まれてきてくれてありがとうと何度も思った。
まだまだ未知の世界が待っている。初めての子育てだ。
我が子がのびのび育つように、たくさんの愛情を込めて接していきたい。
そういえば、私の2大長所は「歯並びが良い」「頭の形が良い」だが、最近調べたところ、これらは乳幼児期の親の接し方による影響もあるらしい。つまり私の長所は、私の両親が頑張ったおかげでより良くなった可能性もある。そう考えると、親って本当に偉大だ。私も、我が子が将来困らないように、できるだけ気をつけながら育てていきたい。
つい最近まで臨月だったのに、気づけばもう出産から1ヶ月が経とうとしている。時間の流れが早過ぎる。我が子の成長もあっという間なのだろう。
日々を大切に、家族みんなで仲良く過ごしていきたい。
