4泊5日、南会津逍遥の山旅。2022年5月2日(月) に奥只見ダムから入山し、まずは南会津の秘峰、丸山岳を目指す。村杉半島の倉前沢山から丸山岳に向かう稜線は急峻な地形のためすでに雪が落ちている場所が多く、痩せ尾根での藪漕ぎを強いられた。
今回の山行での藪漕ぎは想定していたため藪対策としてショートスキーを担いできた。通常の長い板よりも藪に引っかかりづらく進みやすいのは確かだが、それでもスキー板を背負って、スキーブーツを履いて、密藪を突破してゆくのは苦痛の極み。
初日、2日目、尾根へ取りついてからまだ1度もスキーで滑っていない。シールハイクもしていない。それでも丸山岳まで行けば、きっと藪から解放されるはず。その先に広がる雪稜を楽しみにただただ藪を漕ぐしかなかった。
↓前編はこちら
※当記事は続きの5月4日(水)からの記録です。
2022年5月4日(水) 晴れ
4:35 CO1,520m地点 – 6:35 丸山岳 – 8:05 標高点1,723m – 西実沢 – 10:30 東実沢出合 11:25 – スギゾネ沢左岸尾根 – 15:05 標高点1,754m – ミチギノ沢左俣 – 16:30 標高点1,202m
2022年5月5日(木) 晴れ
4:40 標高点1,202m – 8:35 三岩岳 – 9:45 標高点2,057m – ムジナクボ沢左俣 – 10:15 標高点1,596m – 12:55 三角点1,988m – 中門沢 – 13:35 二俣出合 14:45 – 15:30 鷲嵓御天上
2022年5月6日(金) 晴れ
4:35 鷲嵓御天上 – 6:35 中門岳 – 7:30 会津駒ヶ岳 – 9:10 会津駒ヶ岳滝沢登山口 – 国道
【帰り】
・檜枝岐村→只見駅 (車で檜枝岐のHさんが送ってくださった)
・15:40只見駅→16:51小出駅 (只見線¥990)
・小出駅→奥只見丸山スキー場 (小出タクシー¥12,430)
3日目 : 丸山岳から新緑のブナの谷へ
5月4日(水)、3:00起床。寝る時間は充分にあったはずだが、寝つきが悪かったせいで万全ではない。テントの中で支度をしていると、外で小鳥が鳴いた。その鳴き声で起きた他の小鳥たちが次々に鳴き始める。3日目の山の朝がやって来た。
4:35幕営地出発。待ちわびた快晴の日。カチカチに凍結した尾根を、アイゼンを効かせながら登ってゆく。キックステップが続きふくらはぎが次第に疲れてくる。
キツいけどありがたい雪は、いよいよ山頂直下に差し掛かったところで途切れてしまった。目前に笹藪が現れた。茎を踏んでスリップしそうだったのでアイゼンを装着したまま藪に突っ込んでゆく。
アイゼンを装着したスキーブーツはとにかく重い。頑張ってスネの高さまで持ち上げる。
「もうこれ以上は上がらない」と身体が拒否してくる。でも、藪を踏みつけたいからさらに足を高く持ち上げなければいけない。無理やりハイステップするたびに太ももにキュッとした不快な痛みが走る。
もしスキーが無ければ、もし登山靴だったなら、、、。考えていたら悔しくなってきた。太ももの痛みに呼応するように、ついに目から涙が溢れてきた。スキー板を担いで藪漕ぎしている自分が滑稽に思えて余計に泣けてくる。
力が抜けて呆然と藪に沈む。もう嫌だ。だけど進むしかないから、仕方なく気力を奮い起こして前進する。藪の向こうからKさんが「頑張れー!」と応援している。もがいて止まって進んでを繰り返す。
ようやく笹藪を突破した。先行していたKさんが、「頑張ったね。」と褒めてくれた。藪を突破した先は雪が続いておりビクトリーロードのよう。もう喜んで良いはずなのに、疲れ切ってかつ泣き顔の私は素直に喜べない。
Kさんが、「ワカを応援している時奥利根の時のこと思い出した。」と言っていた。あの時は藪漕ぎでバテバテになったKさんに私がひたすら頑張れの声援を飛ばしていたっけ。その時は今と逆の立場だった。Kさんと雑談していたら、ちょっとだけ気持ちが落ち着いてきた。
6:35丸山岳登頂。360度の絶景に悲しい気持ちは吹き飛んだ。
会津駒ヶ岳方面の山々には雪がついているのに、会津朝日岳方面の山の雪はすっかり落ちている。同じ山塊だけど丸山岳を境目とした南北の地形のギャップには驚くばかり。北側はとにかく急峻だ。いつか、何かしらの手段であの懐へ飛び込んでみたい。
一通り展望を楽しみ、南東にある無名ピークまで移動。
お楽しみの滑降準備に取り掛かる。スキーブーツのモードを切り替えようとしたら、すでに左足がスキーモードになっていた。もしかしてさっきの藪漕ぎはハイクモードではなくスキーモードで歩いていた?・・・もはや後のまつりだ。
支度中に前方から空身の登山者が2名やってきて、少しだけ会話を交わす。
さて、いよいよ滑降だ。昨日の午後にKさんがスキー板を擦ってくれたおかげでソールは綺麗になっている。
昨日の降雪で新雪が少しだけ積もっており、予想外のパウダーをいただく。万全ではないスキー板での滑降だが、滑りは充分楽しむことができた。
その後梵天岳の東にある標高点1,723mを目指す。入山3日目にして、ついにシールハイクが出来た。
雪のべったりついた稜線は快適。そして展望が素晴らしい。連休中の丸山岳は賑わっているようで道中何組かのパーティーとすれ違った。雪面にはバッチリとトレースが刻まれている。
8:05、標高点1,723mに到着。あまりにも気持ちよくて稜線歩きで南下しても良いかなと思っていたが、思っていたより稜線が賑わっており、なんだか静かな場所へ行きたくて西実沢を滑降して谷へ降りることにした。
Kさんが先行してドロップし、私が二番目に続く。やや重い湿雪でけっこう足が疲れるが楽しい。
ロケーションも最高だ。この先何が出てくるか分からないけど、今のところ沢へ降りて良かったと感じている。
標高差400m程落とすと傾斜は緩んでいく。次第に板が進まなくなってきた。Kさんが足を持ち上げて、ソールを見せてきた。って、まーたソールが黒くなっている!しばし休憩時間を設け職人モードに入る。Kさんが地道にシュッシュッと汚れを削ぎ落としている・・・。本当なんなんだこの作業。笑
標高を落とすと周囲にブナの森が広がるようになった。傾斜が落ちて進まなくなったので、ヒールフリーでペタペタ歩く。CO1,100m付近から沢が開き始め、清流を眺めながらのんびりハイク。Kさんが「稜線も良いけど沢も良いね。」と言った。山の魅力は稜線だけではなく、あらゆる場所に散らばっていることを深々と実感する。
ここでのんびり幕営したくなる。藪を漕ぎ、美しい雪稜を歩き、そして谷底へ降りて新緑のブナの森を歩く。南会津が「こんな場所もあるんだよ。」と一つ一つ教えてくれているようだ。
右岸の広いブナ林を歩いてゆくが、そのうち行き詰まり左岸へ渡渉する。冷え性体質なのでキンキンの沢水がかなり堪えた。もう一度、渡渉して右岸へ戻る。いつも裸足で渡渉するのだが何の気まぐれか下山用のサンダルを履いて渡ったら、左足のサンダルが流されてしまった・・・。
そろそろ東実沢出合が近づいてきた。出合まで下降せずにブナの台地を横断して東実沢を左岸から右岸へ渡渉する。合計3回で全ての渡渉が終了した。
ここから再び稜線へ向かう。坪入山の西側に位置する標高点1,754mを目指す。スギゾネ沢を詰めるか、スギゾネ沢の左岸尾根を詰めるかで話し合った。途中で幕営する可能性を考えて尾根を詰めることにした。
尾根の取り付きポイントを探しつつ、東実沢の右岸を上流へ向けて歩いてゆく。私はシートラーゲンだがKさんは板を履いて歩いている。と、そこそこ急なトラバースに差し掛かった時、Kさんの右足からスキー板が外れ、そのまま沢に滑り落ちていった。Kさんの悲鳴が聞こえた。沢を見下ろしたら幸いにも板は水中の岩に引っかかっていて流れずに済んでいた。
どうやらビンディングをロックしていなかったようだ。再び素足になりスキー板を取りに沢へ入ってゆくKさん。板の場所まで5m程沢を歩かねばならずしんどそうだ。極めつけに沢から岸へ這い上がる際に、1m程の雪壁を裸足でキックステップしていた。無事に這い上がったら、すぐにブナの木の根の上に避難していた。Kさんが「ベタベタで滑らないくせになんでこういう時に限って滑るんだよ・・・。」とキレていた。何はともあれ、スキー板を無事に回収できて良かった。
東実沢出合から400m程上流の枝沢からスギゾネ沢の左岸尾根へ取り付く。上部が急なのでアイゼン装着。厳冬期だと雪崩の危険が大きく到底近寄れなさそうな場所だが、残雪期の今は素晴らしい登路となっていた。ブナの新緑眩く、後ろには白い山が覗く。まさに南会津を凝縮したような美しい場所だった。
苦しい急登をなんとかこなし、ようやく尾根へ乗り上げる。尾根にはうっすらと獣道が伸びており有難い。
50m程歩いたら雪が続くようになったのでシールハイクに切り替えることにした。
しかしなんたることか、ベタベタのせいでまるでシールが張り付かない。ここで大休止して職人タイムに入る。Kさんはノコギリの背で、私はコンパスでベタベタを削ぎ落とす。日光に当ててスキーを乾かしたら取れやすくなった。滑降するたびにこの職人タイムを取り入れている。完全に手間でしかない。
努力の甲斐あって、なんとかシールとして機能するようになった。残雪期の山スキーで雨でびしょ濡れになった時のシールぐらいには粘着力が復活した。
スギゾネ沢左岸尾根は素晴らしい尾根だった。高度を上げていくほどに広く歩きやすくなっていく。この尾根を滑降するのも楽しそうだ。
左手にスギゾネ沢を見下ろす。沢筋は綺麗に埋まっており、こちらもいつか滑降したくなった。右手には先ほど滑降した西実沢の源頭部分、そして梵天岳や高幽山が見えてきた。高幽山の東側斜面は広大なオープンバーンになっており、ここもいつか滑ってみたい気持ちにさせられた。
しばらく順調に歩いてゆくが、上部で雪が途切れているところがあり数十mだけ板を外して歩く。
15:05、標高点1,754mに到着。登山者の往来のトレースに再び合流した。てっきり尾根の途中で幕営するつもりだったが順調に稜線まで来てしまった。
さてどうしようかとなり、今日はミチギノ沢左俣を滑降して標高点1,202mで泊まって翌日三岩岳に登り返すのはどうか、という話になった。
標高点1,202mの二俣出合で泊まっている記録は「山スキー百山」にも載っており、山スキーしつつの釣りを楽しんでいる写真は印象深い。私は今回は釣竿は持ってこなかったが、水も取れるし二俣出合で泊まるのは良さそうだ。
準備を済ませてミチギノ沢左俣を滑降する。私がお先でKさんが2番手。出だしのクラックに気をつけて滑り降りると、快適ザラメバーンを楽しめた。だいぶ足に疲労が溜まっており、数ターンするごとに立ち休みしてしまう。Kさんはまだまだ元気そうでスイスイと気持ちよさそうに滑降していた。今回とて次第に板が滑らなくなる。ペロリと裏を確認すると案の定真っ黒なベタベタが付着していた。
斜度が次第に緩んできたので、手漕ぎで進む。
突如、右側の急斜面から白いカモシカが駆け降りてきて、猛スピードで前方に駆けて行った。Kさんからしたら突然目の前に白い塊が飛び込んできたので雪崩が発生したのかとすごく驚いたようだ。
順調に二俣出合まで滑り込むつもりがそうはいかず、目前を滝に阻まれた。ちょうど本流に枝沢が出合っている場所で直下には2つの滝がある模様。右岸は無理そうで左岸巻きが良さそうだ。念の為のハーネス、アイゼンを装着して、板を担ぎ高巻きに入る。
悪場担当(?)のKさんが先行してくれる。滝の側壁の急斜面をキックステップでトラバース。間隔を空けて私も続く。目下に口を開けているシュルンドが恐怖心を煽るので見えないふりをする。Kさんの蹴り込んだステップを利用してどうにか突破。
Kさんは2つ目の雪のトラバースに取り掛かっている。斜め右下に向かって少しずつクライムダウンをしている。と、その時、Kさんのトラバースしていた雪がググッと動き出すのが見えた。「危ない!!」と反射的に叫ぶ。Kさんが藪側に身を寄せた瞬間、Kさんの真横で雪のプレートがごっそり滑り落ちていった・・・。
ひとまず危機は回避したものの、その場所に残るは泥と岩の壁。私の下降ルートが消失してしまった・・・。Kさんに助けを求めると、結局泥壁を横断するのが最善なようで、ショウジョウバカマの咲いてる場所を目指してとの指示が。しばらく躊躇していたが、万が一滑落しても死にはしないだろうと覚悟を決めてトラバースにかかる。
泥にアイゼンを効かせる。なるべく灌木を掴むが、掴めない場所はウィペットを泥壁に打ち込む。こんな時でも上部の灌木たちがスキー板やザックに引っかかり鬱陶しい。乱暴に払えば滑落待ったなしなので、冷静に慎重に。Kさんが下で「頑張れ!ワカならいける!」と全力で応援している。とにかくワンミスしないように集中力だけは最大限に発揮した。
ようやく突破した・・・。せっかく乾いていた服がまた泥で濡れてしまった。長居は禁物の沢床。雪が繋がっている場所から左岸へ避難する。
Kさんは今回のルート取りは判断ミスだったと反省していた。
私自身も行動中はただKさんについていくだけで必死だった。もっと余裕があれば周りが見えて対策は出来たと思う。今の時間、自分の頭でよく考えることができなかった。私も気をつけなければと思った。
危険地帯を越えたら二俣出合はもう近い。16:30、無事に幕営地到着。沢で水を汲み、テントを張る。すぐに休みたい気持ちだが、明日の為の職人タイムを設けなければならない。Kさんが3本のベタベタを取り除いてくれ、私は1本削ぎ落とした。どんな時も、この作業をやらばければいけないのがもうなんかアホらしい。でもやらなきゃスキーが使えない。
ようやく作業を終えてテントに潜り込む。
夜は風も穏やかで静かなひと時を過ごすことができた。
4日目 : 忘れられたピーク 鷲嵓御天上
夜明けと共に一羽の小鳥が鳴いた。呼応するように周囲の小鳥も鳴き出し、そして4日目の朝が始まった。山の朝は気持ちが良い。
4:40、幕営地出発。三岩岳を目指す。雪は硬めだったが傾斜が緩いのでシールでハイクアップする。
今いるミチギノ沢は、一昨年の夏に袖沢御神楽沢(当時の記録)へのアプローチとして下降した沢だ。また来れたことが嬉しい。
CO1,600m程から傾斜が急になり雪面もカチカチだったのでアイゼンに切り替え。CO1,700mから再びシールハイクに戻した。時刻は7:10、三岩岳まであと少し。
8:35、三岩岳到着。会津駒ヶ岳から縦走してくる登山者や、逆方向からやってくる登山者でひとたび山頂は賑わった。ここまで来ると、里が近い安心感が湧き起こる。
一度電波を受信して明日以降の天気予報を調べたらバッチリ晴れマークだった。今日中に帰ることも出来るがせっかくなのでもう1泊することにした。
次なる目的のピークは「鷲嵓御天上」だ。現在の国土地理院地図には表記がなく、古い地図には表記がある。故・池田知沙子さんの著書「みんなちさこの思うがままさ」ではそのピークへ行った記録が載っており気になっていた場所だ。その地点がその地名であること以外、詳しい話は昔から判明していないようで、古今東西謎深きピークである。
ここから標高点2,057mに移動、ムジナクボ沢左俣を滑降して、中門岳の北にある三角点1,988mを目指して登り返すことにした。今日中にどこまで行けるか分からないが、行けるところまで行ってみよう。
緩やかで快適な雪稜ハイクをこなし、9:45、標高点2,057mに到着。シールオフして滑降準備。
ムジナクボ沢左俣へ滑り込む。沢筋ではあるがオオシラビソが多く生えておりツリーランとなる。案の定途中からソールがベタベタしてきて滑降が捗らなくなる。一箇所滝が出ていたが左岸から難なく越えた。
10:15、順調に御神楽沢との出合、標高点1,596mに到着。
一昨年の夏に遡行した谷はすっかり雪に埋もれ、まるで見違える景観になっていた。ここでも大休止とし早速職人タイムに入る。初日は戸惑ったベタベタ事件だが、4日目にもなればだいぶ手慣れてきた。当たり前のように職人作業をこなしているが、ふと我に帰ると「何やっているんだろう。」という気持ちが湧き上がる。
休憩を充分とり、いよいよ対岸の三角点1,988mに登り返す。残念なことにKさんのシールは接着がいまいち悪くてテーピングでぐるぐる巻いてスキー板に貼り付けることとなった。Pomocaのグルーは粘着力が低い傾向にあるようでこういうアクシデントの時は弱いようだ。私のシールはブラックダイヤモンドのグルーを使用している。やや粘着力は落ちたものの問題なく張り付いている。
Kさんは暑さにやられてバテバテなので私が先行。私もすでに疲れ切ってはいるが先ほどアミノバイタルを飲んだおかげで2時間は覚醒モードで動けるだろう。
標高差400m程の急登をひたすらジグを切って登ってゆく。緩んだザラメ雪で助かった。もしカチカチだったら嫌らしい斜面だ。
ようやく急登を突破し、あとはピークに向けて緩やかな雪稜を進むのみ。
12:55 三角点1,988mに到着。
ここからは中門沢をCO1,540mの二俣まで滑降して尾根へ取り付き鷲嵓御天上へ登り返すことにした。先の様子は分からないのでもし行き詰まったら登り返す作戦だ。
シールオフして滑降開始。ツリーランをこなして沢筋に飛び出す。快適ザラメで気持ち良いが、私は足が既に限界なので数ターンして休憩の繰り返し。Kさんが私の滑降動画を撮影してくれようとするが、止まりまくっているので申し訳ないが撮れ高はかなり少ないと思う。笑
両側を高い尾根が囲み、ザ・雪崩地形って感じの場所は足が攣りそうになりながらも頑張ってスピーディーに通過した。
13:35二俣出合到着。ここもまた素晴らしい場所。喧騒とは離れた、隔絶された世界。さっきまでは安全圏にいた気持ちだったが谷底に降りて、また山の懐に浸かったような気持ちになった。
雪崩リスクの無い尾根へと上がり、ここで職人タイムを含めての大休止。
1時間ほどのんびりと過ごし、いよいよ鷲嵓御天上へと登り返す。Kさんは未だシールの調子が悪いようでテーピングで固定している。
右手には滑降してきた中門沢左俣が見える。何度見ても綺麗な斜面だ。右俣も気持ちよさそうだ。
左手には「鷲嵓御天上」らしきピークがぽこっと見える。
尾根を登り、鷲嵓御天上のある稜線へと乗り上げる。傾斜が緩み、穏やかな稜線が続く。いよいよ迫るピークに胸が高鳴る。
15:30 鷲嵓御天上到着。昔の地図には鷲嵓御天上の位置がざっくりとしか表記されていない。ピークの名称なのか、中門岳のように「ここら一体」を指すのかも分からない。きっとここだという場所で記念撮影。
風避けのため、オオシラビソの付け根に幕営。
日没が近くなってきたので、近くのピークへ展望を眺めに行く。(もしかしたらここが鷲嵓御天上かもしれない。)
周囲を高い山々が取り囲む。まるで山に抱かれているかのような素晴らしい場所。
もしこの場所に「鷲嵓御天上」という名前がついていなければきっと行くことは無かっただろう。きっかけがあり、このピークを踏めたことが良かった。
池田知沙子さんは著書の中で鷲嵓御天上を「袖沢流域のど真ん中に位置するピーク」と表現している。「南会津の端っこ」ではない。「ど真ん中」なのだ。表現一つでこのピークがキラキラと輝き価値のあるものに思えてくるから不思議だ。池田知沙子さんの感性の豊かさには目を見張るものがある。
まだ人の目に触れていない、知られざる魅力的な場所があちこちに点在しているのは確かだ。その場所を発見していくのは他でもない自分自身の足、そして価値を創る感性だ。何者にも振り回されず、そんな場所を楽しく純粋に求めてゆく登山を私もやっていきたいと思った。
過去にこの地を訪れた人に想いを馳せる。夕焼けが迫り、赤く染まってゆく山々をいつまでも眺め続けた。
5日目 : 鷲嵓御天上から会津駒ヶ岳へ、そして下山
3:00起床、4:35、鷲嵓御天上に別れを告げて出発。今日はいよいよ下山の日。アイゼンを装着し、中門岳へと続く尾根を登り返す。巨大なシュカブラが波打ち、凍結している雪面はなかなか手強い。
そのうちに日が登ってきた。赤く染まる丸山岳や越後の山々があまりにも美しくて何度も何度も振り返る。
上部で昨日の私たちのシュプールと合流し、三角点1,988mに再び戻ってきた。
未知の領域から見知った場所に戻ってきて、内心ホッとした。まだまだ油断は禁物なので再度気を引き締めて会津駒ヶ岳へ向かう。
シールハイクに切り替えのんびりと進む。先ほどまで大きく見えていた丸山岳は次第に遠ざかり、代わりに燧ヶ岳や平ヶ岳がよく見えるようになる。素晴らしい雪稜漫歩だ。
7:30、会津駒ヶ岳到着。今年で3年連続登頂だ。まだまだ雪が多く、本来草木が生い茂っているはずの山頂では素晴らしい展望が望めた。
山頂直下の斜面はボコボコ・ガリガリだったが綺麗な場所を狙って滑り込む。
しばらくトラバースして下山の尾根へ向かうも、次第にスピードが乗らなくなる。案の定ソールがベタベタになっていた。
苦痛の手漕ぎを続け、標高点1,990mを過ぎると傾斜が出てきてスピードが出てくるようになった。登りの登山者に気をつけつつ高度を落としてゆく。
道中、登山者に声をかけられた。「スキー板、ベトベトになってませんか?」どうやらその2人はボーダーのようだ。昨日と一昨日に燧ヶ岳と三岩岳に行ったがボードがベタベタになりまるで楽しめないので今日は歩いて会津駒ヶ岳へ登りに来たとのことだった。
あのベタベタ現象が私たちだけでないことを知って、なんだか少し安心した。彼らもこの現象は初めての経験のようで首を傾げていた。私たちはショートスキーだけど、スノーボードだと削ぎ落とす面積も広いから大変そうだなと思った。
道中、尾瀬マウンテンガイドの浅井さんとお会いし、少しだけ会話を交わす。
ついに雪が消えてしまい、板を担ぎ登山口まで歩いて下る。
9:10、会津駒ヶ岳滝沢登山口へ到着。電波が入るので檜枝岐在住の尾瀬温泉小屋のHさんに檜枝岐に下山したと連絡をしたらなんと国道まで迎えにきてくださるとのことだった。
私がサンダルを片方流したことを説明したら、サンダルまで頂いてしまった・・・。久々にHさんとお会いできてお話が出来てとても楽しかった。その後さらにありがたいことに檜枝岐から只見駅まで車で送ってくださった。当初はバスとタクシーを乗り継いで向かう予定だったのでとても助かった。
寝観音様
Hさんに只見駅まで送っていただき、只見線(小出行き)の発車時刻になるまでぶらぶらと時間を潰す。駅の裏にある要害山へ途中まで散歩しに行き、駅近くのデイリーヤマザキでアイスクリームを食す。
只見の町から一際目立つ雪山が顔を覗かせている。村杉半島の猿倉山と横山だ。現在、村杉半島は周囲を田子倉湖に囲まれてアクセスが困難。当然登山道は無く、登山者はおそらくかなり少ない不遇の山塊だ。
そんな山々が只見の人にとってはシンボルのような存在で、古くからずっと愛されていたことを知った。只見町のどこからでも見える村杉半島はとても立派で、厳かな雰囲気を纏っていた。自分の好きな山が、地元の方にこんなにも認知され、愛されているのだと知ってなんだかとても嬉しくなった。
只見線に乗って
15:40只見駅を出発。車窓から見える浅草岳や無名の山々の険しい山肌、破間川の激しい流れが目を楽しませてくれる。線路脇に生える山菜を目で探して遊んでいたが次第に眠りの世界へ。
再び目を覚ましたら、小出駅へ到着していた。
17:00前に予約していた小出タクシーに乗り奥只見丸山スキー場へ。18:00前に無事に車を回収。
長い山旅が無事に終わった。見慣れたいつもの車に乗り込んだらようやくホッとした気持ちになった。
【おすすめ】
①みんなちさこの思うがままさ(池田知沙子)
私はもともとこの本を知らなくて、ツイッターである方が読んでいたのをきっかけに知り購入。今となっては宝物のような本です。
②山スキー百山(スキーアルピニズム研究会)
今回訪れた場所のいくつかが紹介されている。
ガイド本としてだけでなく紀行文として眺めるのも面白い。その秀逸なルート取りはまさに経験と技術、好奇心から生み出された「創造的な登山」であり大変刺激をもらえる。
③檜枝岐村の地名 (600円)
尾瀬檜枝岐道の駅で販売している地図。今回行った「鷲嵓御天上」など今の国土地理院地図には表記のない地名が記載されており眺めていて楽しい。
・・・
ベタベタ事件の真相は、どうやら「ぶなのヤニ」「芽鱗の油」らしい。奥只見丸山スキー場の駐車場でも、スキー場利用客のスノーボードがベタベタに汚れているのを目撃した。帰宅後ツイッターを眺めていたら、皆ベタベタ被害に遭っているようだった。数十年に一度あるかないかの出来事のようだ。
今回、被害に遭いながらも騙し騙し板を使って4泊5日の山旅を完遂出来たのは嬉しい。ブナは大好きな樹木だが、時にはこんな影響も及ぼすのだと驚いた出来事だった。
↓ベタベタ事件について、皆さんの意見をまとめました。