2021年4月21日(水)
11:15 駐車地点 – 12:00 川クルミ沢出合 – 12:30 渡渉点 – 15:00 日本平 – 15:40 CO810m (合計時間 : 4h25m)
2021年4月22日(木)
5:10 CO810m – 7:15 五兵衛小屋 – 11:00 中の又山 – 13:40 五兵衛小屋 – 15:40 CO810m 16:30 – 17:00 日本平 – 19:30 渡渉点 – 20:00 川クルミ沢出合 – 21:10 駐車地点 (合計時間 : 16h00m)
※中の又山は、阿賀町、三条市、只見町、3つの境界に位置する山
距離 : 20.0km 累計高度(+) : 1,573m 累計高度(-) : 1,571m
人 数 5人(ガイド2人+客3人)
天 気 晴れ
雪 の 状 態
下部積雪無し。日本平〜中の又山の間では北側斜面にちょこちょこ積雪あり、繋ぎながら歩く。稜線上の細尾根は大体藪。
今回、私にとって初めてのガイドツアーに参加してきた。
私は、過去に「やぶ山三ちゃん」で知られる三上ガイドの講習会に2度参加したことがあるが、山行自体のガイドは今回が初めてだ。
一度は参加してみたいと思っていたガイド登山。ちょうど自分の好きな山域での企画があったので、良い機会と思って参加してみた。
開催元となるパワーゾーンは、私の知る限り、他のツアー会社にはない個性的な山行を取り揃えている。
パワーゾーン
私がパワーゾーンを知ったのは「火奴山」をインターネットで調べていた時だ。
検索項目に「火奴尾根から丸山岳2泊3日」のツアープランがヒットした。
ちょっと気になって他の企画も調べると、「毛猛山」や「羽後朝日岳」だったり、「光明山」もあった。
色々と魅力的な企画の中で、今回は「中の又山ツアー」に申し込んでみた次第だ。
ガイド代は44,000円。
当日は好天に恵まれ、予定通り中の又山登山は催行された。
1日目
お客さんは私含めて3人、ブログ運営している山賊さん(http://sanzoku.hobby-web.net/)、今年で御年80歳になるYさん。
ガイド担当は、高橋ガイドと、ガイド見習いで同行しているリュウさん。
リュウさんとは以前より知り合いで、まさか今回こんな形で再会するとは思わなかった。
お互いにびっくりした。
大抵、この手の企画に参加すると、私は参加者の最年少記録を更新するらしい。
今回も「何故中の又山に?」と尋ねられた。
マイナー12名山とかのツアー参加者は、大体60代以上らしい。
山を行き尽くしたような年配のベテラン登山者が次に目をつけることが多いそうだ。
(若い人はクライミングなどのバリエーションのガイドに参加することが多いらしい。)
私はただ少しのキッカケでこの山域を知ってしまって、どうしても歩きたくなってしまっただけに過ぎない。
10:30に「道の駅 漢学の里しただ」に集合し、大谷ダムを越えて国道289号の八十里越道路の通行止めポイントまで車を入れる。
共通装備の分担はテント。
持っていくのは合計3張。私は1人で1張使って良いそうだ。
女性ということで気を遣ってくださったようだ。
個人装備では、記載されているもの以外にスコップ、スノーソー、ツェルト、ロープ類、ガス缶、ガスヘッドなど持っていくべきか迷った。
一応ガイド登山なので、いざという時はきっとなんとかしてくれる(こういう考え方は駄目なのかもしれないが。)と考えて、荷を軽くする為にも置いていくことにした。
しかしやっぱり気になるのでツェルトは持っていくことにした。
今回、荷物の件は質問しなかったのだが、一般的にこのような装備はどうすれば良いのか聞いてみればよかったと今になって思っている。
お客3人で、ガイドの用意したテントを少しずつ担ぎ、いよいよ準備を済ませて11:15登山開始。
高橋ガイドは紙地図で読図をしながら先行してゆく。
お客3人はガイドに挟まれて真ん中をのんびり歩く。
Yさんも山賊さんも、さすがこのツアーを選んで参加しているだけあって、山の話がとても盛り上がる。
約3km程歩いて、川クルミ沢の出合に到着。
10分程度の休憩を挟んだ後、川クルミ沢の右岸にある不明瞭な踏み跡を辿る。
小さな小川を飛び石で渡ると、やがて川クルミ沢本流の渡渉点が見えてきた。設置してあるトラロープを使いながら沢床へ着地。ストックをうまく突いて飛び石渡渉。
沢沿いの道は急登のうえ、落ち葉で滑りやすくやや悪い。
左岸側にある尾根を1つ乗越し、再び沢底に立つ。
3度目の渡渉は楽にこなし、いよいよ日本平に向けて本格的な登りに入る。
CO600m付近からちらほらとまとまった残雪が見られるようになる。
高橋ガイドが丁寧に蹴り込みを入れてステップを作りながら登ってゆく。
踏み跡は一時残雪の下に隠れてしまったが、高橋ガイドが「大抵こういう場所にある」という山勘を頼りに進んだところ、残雪が消えた場所で見事踏み跡に復帰した。
15:00日本平直下に到着。
ザックをデポし、藪を漕いで山頂らしきところへ寄り道した。
ついに東側の展望が開ける。ようやく川内の山々を一望できた。
Yさん、山賊さんはなんと自作の山頂標識を持ってきていた。
山賊さんはちょっとミスをして、新潟100名山の1つである「日本平山(1,081m)」を印刷してしまったようだ。
今踏んでいるピークは、国土地理院地図では「日本平」という名称で、標高点は存在しない。
標高は860mくらいだ。
日本平から中の又山方面へ、幕営地を探しながら進む。
時刻は15:40、標高点855m地点の手前にあるコルCO810m地点。
元々高橋ガイドが目星をつけていた場所で今日は幕営することになった。
私はスコップを持ってきていなかったため、ガイドたちが雪を整地してくれているのをただ見ているしか出来なかった。
何もせずにただ突っ立っているだけで、なんだかソワソワしてしまう。
この後高橋ガイドから枝をアンカーにして張り綱を固定してテントを設営するように指示を受けた。
やっと与えられた作業が嬉しい。
高橋ガイドとリュウさんがテキパキと雪からお湯や水を作ってゆく。
そのお湯を使って、各自持参した食事で夕飯とした。
このタイミングで、翌日の行動水として1ℓの水も頂いた。
そのうちに日没が近づき、山々が赤く染まり始める。
光明山の左隣にあるピークは万之助山。
「下田山塊 山岳地図」によると別名で「前光明」とも表記されている。
「中光明」もあり、光明山すぐ左のポコを指している。
前光明に突き上げるスラブは鎌倉沢の支沢である砥沢だ。
光明山の北東を流れる沢も「砥沢川」と名称がついているが、それはそれなのだろう。
スラブ上には「光明槍」とやらが存在するようだが、どれの事を指しているのかはよく分からなかった。
山々を眺めているうちに、日は暮れる。
食事を済ませたら、各々テントに戻り就寝。
2日目
翌朝。高橋ガイドとリュウさんが朝4時からお湯を沸かし始めてくださっている。
出発時間は5時と言われている。それまでに各自朝食とパッキングを済ませる必要がある。
私は前日夜のうちに荷物を大体まとめておき、翌日は3:50に起床。
4時過ぎに、ガイドの元で朝食を済ませる。
そのうちに他のお客さんもテントから出てきて、みんなが集まって各々朝食をとった。
最初は小さなテント3張でどうやって食事をとるのか疑問に思っていたが、なるほどこうすれば色々とスムーズだ。
テント内での食事は何かと時間がかかるし、全員の足並みを揃えなくてはいけない。
(今回は単に1つのテントに全員が集まれないというだけの理由かもしれないが。)
ガイド登山のように一緒に歩いたことのないメンバーが集まって大人数で行動する場合には確かに効率的で適した方法だ。
5:10幕営地出発。
コルからすぐに雪の急斜面があるので、高橋ガイドの後ろに続きアイゼンでキックステップを効かせながら登る。
斜面を登りきると、再び雪は消えてしまい、せっかく装着したアイゼンは早々に取り外す。
その後は、わずかに残る尾根側面の雪を拾いつつ主に稜線上の藪を進んだ。
藪漕ぎといえど、薄い踏み跡がある場所も多く割と進みやすい。
スラブを抱えた、目を惹くピークは大谷ダム近くにある大山(484.3m)。
積雪期には新潟岳人によく登られているピークのようだ。
7:15五兵衛小屋到着。
続く稜線を確認すると、先ほど歩いてきた場所よりも残雪が増えた。
主に斜面の雪を繋ぎながらうまく歩けそうだ。
高橋ガイドの指示でアイゼン・ピッケルを装着。
雪が切れた時は稜線上を藪アイゼンで突き進む。
神楽峰の大岩は右側より巻く。
この付近はやや悪く、今回の核心部。沢登りの詰めや滝の高巻きを思い出した。
そのうちに調子が悪いのか、山賊さんのペースが遅れ始めた。
いざとなったら自分は待っているので山頂へ行ってください。と、そう言った。
なんだか寂しい。出来ればみんなで山頂へ行きたい。
10:00。山賊さんは大幅に遅れ始め、いよいよ高橋ガイドの判断、本人の了承をもって、非常に残念ではあるが山賊さんはリュウさんと一緒に途中待機となった。
引き続き高橋ガイド、私、Yさんの3人で山頂を目指す。
先行する高橋ガイドの後ろに、御年80歳を迎えるYさんとお喋りしながらついてゆく。
今回の山行はだいぶハード系だ。藪を漕ぎ、沢を渡渉し、一部悪い草付きやトラバースをこなし、距離も割とある。一緒に歩いているYさんは本当すごい。
再び尾根上に乗り上げると、山頂は目の前。
南側に山々の大展望が広がっていた。
あまりにも素晴らしくて、山頂はまだなのについ足止めをくらってしまう。
美しくも険しい砥沢川。
てっきり「トサワ川」だと思っていたが、正しくは「トーゾー」と読むらしい。
ここらの山域では「沢」を「ソー」「ゾー」と呼ぶことが多い。
よって砥沢はトーゾーと読む。「川」という文字はトーゾー川という風に「沢」を「ソー、ゾー」と読む事を知らずに付けられたものだと考えられている。
※参考文献 川内山とその周辺 (笠原藤七)
11:00、中の又山の山頂。
素晴らしい。行けてよかった。
ここまで連れてきてくれた高橋ガイドにお礼を伝えた。
ちょうど目前に広がるのは会越国境の美渓、室谷川の源流部である。
一面スラブ、圧巻の光景だ。
私が初めて会越国境に入ったのは昨年の5月。
この室谷川の一部分を歩いたのがキッカケで、下田・川内山塊の存在を知った。
本当に美しく奥深い山域でかなりの衝撃を受けたことを覚えている。
あの日から、少しずつこの山域を歩けているのが嬉しい。
【山行記録】室谷川 駒倉沢〜倉谷沢
現時点でかなり時間が押していたが、それでも10分程度、山頂を楽しむ時間を設けていただいた。
しばし展望を楽しみ、いよいよ下山。
道中待っていた山賊さん、リュウさんと合流し、改めて5人で出発。
中の又山の山腹、目を凝らすと白滝が流れているのが見えた。
雪解けが影響したのか朝よりも水流が太くなっていた。
15:40幕営地点到着。
やはり今日は山賊さんの体調が悪いようで、全体的にだいぶ遅れ気味のペース。
高橋ガイドにも言われたが、もう日没下山を覚悟しなければいけない時間になってしまった。ヘッドライトをすぐに出せる位置に収納し、手早く撤収準備をする。
16:30、下山開始。日没は次第に近づいてゆく。
次第に山々が赤く染まり始める。燃える夕焼けがとても美しい。
ついに18:40、CO500m地点、川クルミ沢出合まであと1km程を残して日は暮れてしまった。
先ほどの燃えるような赤色は一瞬で影を潜めた。
眼下には鬱蒼としたスギの森。何かよからぬ場所へと誘い込まれてしまいそうな、なんとも言えぬ恐怖を感じる。
ここでアクシデント発生。
どうやら山賊さんのヘッドライトが昨晩のうちに充電が切れてしまったようだ。
ヘッドライトは、高橋ガイドの予備を貸与することでことなきを得た。
この時の高橋ガイドの言葉遣いにピリッとした空気を感じた。
確かに、一歩間違えれば遭難まっしぐらの事態である。(ヘッドライトが無くても問題ない登山者も一部存在するが。)
5人で足並みをそろえ、下山再開。
スギ林は踏み跡が分かりづらく、日没後はなかなか厄介な場所だ。
川クルミ沢の左岸から右岸へ渡渉。
出合まで後少しだ。
私は高橋ガイドの後ろにくっついて、時々お話しながら歩いてゆく。
後ろは Yさん、山賊さん、リュウさん。
やや距離が空いていたが、後方からも賑やかな話し声が聞こえてくる。
日没は迎えてしまったが、一周回って緊張が解けた模様?
そのうちに話し声が遠くなり、再び後続が遅れ始めた。
しばし高橋ガイドと待機。
出合まであとわずか100mくらいだというのに、次はどうしたんだろうか。
高橋ガイドが声を張り上げて後方の状況を確認する。
「ちょっと待ってください!」という声が返ってきた。
すると、どうやらYさんのヘッドライトが木にぶつかった拍子に点灯しなくなったそうな。
それで今電池を取り替えているところだと言葉が返ってきた。
高橋ガイドが「後ろの人に照らしてもらいながら歩くことも出来ますよー!」と叫び返した。
川クルミ沢出合まであと100m程度、ちょっと歩けばすぐに到着、その後は道路を歩くだけなのに、なかなか前に進まない。
てんやわんやである。
20:00ようやく川クルミ沢出合到着。
後は暗くなった道路を引き返すのみ。
21:10駐車地点到着。
一足早く高橋ガイドと車に戻っていたYさんはかなり疲れていたのか、車の中でぐっすりと眠っていた。
最後に到着した山賊さんも、身体がかなり痛そうでボロボロだ。
2日目は16時間行動という長丁場、キツい山行になってしまったが、全員揃って無事に終えることができて良かった。
【オススメ】
下田山塊山岳地図・・・「道の駅 漢学の里しただ」にて200円で販売中。(レジで頼めば出してくれる。)
国土地理院地図には表記のない地点名も色々と載っている。
※中の又山付近の例「熊眺め場」「山ノ神」「観音岩」「神楽峰」など
下田の山・・・400円。ハイキングコース多めだが、八十里越えの山々など、やはり地理院地図に表記のない山名も載っている。